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高井俊一郎STORY

【波乱万丈の学生時代編】

群馬県高崎市出身の47歳。西小、並榎中、新島学園高校と地元で育ちました。勉強はそれほど好きではありませんでしたが、祖父の影響で歴史が好きな子どもでした。高校では音楽とファッションに全力の青春時代を過ごし、当時の学友とは今も変わらず「頼れる仲間同士」の関係です。振り返ってみると、かけがえのない出会いがあった学生時代でした。

大学生になると、神主の資格を取得するべく國學院大学へ上京しました。慣れない環境と一人暮らしの孤立感による「引きこもり」も経験しましたが、3年時に突然目覚めアクティブに!(笑)。夏休みにはバックパッカーとして海外を周り、知らない国の人や文化に触れる機会に夢中になりました。

こうして東京や大学にも馴染み、指導者神職の資格である「明階」と中学高校地歴科の「教員免許」を取得して卒業。次回の【神主を目指して武者修業編】へと続きます。良いことも悪いことも経験してきた人生だからこそ、広く皆さまの声を受け止め、お役に立てると信じております。

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【神主を目指して武者修業編】

大学を卒業後、私は千葉県流山市の諏訪神社にて修業を積みました。祖父が倒れ、一早く実家・山名八幡宮に戻るため、短期間で多くの経験が積めるよう「修業先は一番厳しい神社がいい」と希望したことを覚えています。

恩師は神社本庁の長老を務める古谷金祐さん。太平洋戦争時の激戦地・ラバウル帰りの師の教えは厳格で、本当に厳しい修業の日々でした。辛さを感じる暇もないほど疲労困憊の日々に身も心も鍛えられ、古谷宮司の“芯のある生き方”が私に強く生きる哲学を与えてくれました。

大学時代に海外を周っていた経験を活かして、オーストラリアの学校へ飛び入りでプレゼンに行ったこともあります。神主姿で日本文化と神道の話をすると、多くの学生から質問がありました。早く一人前になりたいという一心で、がむしゃらに武者修業をしてきました。

次回はいよいよ【山名八幡宮の再建奮闘編】となります。今の神社になるまでのこと、そして地域へ目を向け始めたきっかけをお話できれば幸いです。

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【山名八幡宮の再建奮闘編】

祖父が倒れてから7年間、空けてしまった神社に、参拝客はすぐ戻ってきませんでした。再建に向けて決めたことは「自分自身が地域に出て人の和に入り、神社を地域の核として作り直すこと」でした。

かつて、神社は信仰の場でありながら、地域のお祭りや集会などの集いの場でした。多くの人が交流し文化を伝えていく場所として復活させたいと思い、地域の歴史をデザインしたお守り作りや、子育て世代が立ち寄りやすいお店を境内に作りました。

また高崎市青年会議所に所属し「高崎野外音楽フェスティバル」や「高崎まつり」の運営などに関わりました。そこで「まちは人の手で作るものだ」という確信を得ました。

今日まで小さな取り組みを積み重ね、神社に足を運ぶ方が増えてきました。安産子育て支援が評価され「全国最年少の民生委員」に推挙いただき、グッドデザイン賞を受賞したことで「次世代の神社モデル」として全国から注目されています。

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